東北地方太平洋沖地震

東北地方で被災された皆様、心からお悔やみ申しあげます。
みなさまがご無事でありますようお祈りいたします。

昨日の様子をまとめてみたいと思います。

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地震発生時、ミッドタウンで仕事中だった。

フワフワ揺れておさまるかと思ったらグラグラ揺れて、このビル終わったかもな…て予感がした。

揺れながら「こんな経験一生に一度だから貴重だね」と笑顔の上長とみんなで話してたら、揺れはおさまりつつフワフワ揺れ続けた。

揺れ方は波の高い海を航行する船みたいな感じに、ふわ~と揺れるけど3回くらい縦揺れきたので驚いた。

揺れがきてから5分後くらいにサイレンがなって、マストヘッドに地震速報出るほうが早かったくらい。
防災システムって肝心な時ほど動かないっていうよくある仕様。

そのあと、ビル管理センターからフロアごとに裏庭に避難するように指示があって、階段で各自避難した。

避難開始から1時間ほどたって近くにいた役員から「帰れる人から帰るように」と指示があり、非常階段でフロアに戻る人と歩いて帰宅する人で別れた。

地震の影響で交通機関は全面停止して、再開の目処はないと駅員が話してたので、歩くしかないと心に決め歩くことにした。

乃木坂から明治神宮前までは千代田線の上を歩く

明治神宮前から新宿三丁目までは副都心線の上(明治通り)を歩く

新宿三丁目から新宿駅南口まで行き、様子を見てから西武新宿のある新青梅街道へ

ひたすら新青梅街道を西へ向かって歩く(学校に行く時に走った道)

途中、北原の交差点から所沢街道に入り歩く

到着

北多摩周辺の大地は硬く昔から安定しているので特に被災もなく、道路は安定して歩けたけど
歩道は障害物が多く路面が荒れているため、極力体力を消耗しないように車道を歩いた。

サークルの男子日程で一年の時、「共同装備くらいの荷物を積んで走れないやつは地震ですぐ死ぬぞ」と先輩から言われて歯を食い縛って十勝岳の激坂を登った記憶が蘇って、不思議と元気でた。

たとえ何が起きても動じない精神力と体力を養えたのは素晴らしいサークルのみんなのおかげだな~!とつくづく思い、ただただ感謝してた。

今回は東京は震度5弱だったため、被害がそれほど多くなかった。
しかしそう遠くないうちに必ず関東大震災が起きるであろうと思います。
その時に備えての予行演習を兼ねて徒歩帰宅を行いました。

東北は7年前に自転車で旅した際に、多くの方々から助けていただいたので
私に出来ることがあれば何でも支援を行いたいと思います。

素晴らしく豊富な漁場が多いため、日本有数の漁港があり海の幸が美味しかった。
港の漁師さんたちが優しくて、水揚げされたばかりの鮮魚を分けてくれました。
みなさんの顔が思い浮かぶたびに涙が出てくる。。。

その釜石、宮古、石巻、松島など各港で津波を受けて被害が拡大しているのを見ると
船も車も電車も家も人も何もかも飲み込む津波の恐ろしさを痛感できる。。。

言葉にしようのないくらいの悲しさ。M8.8の破壊力は計り知れない。
地震と津波で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

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